海上保安大学校地誌~吉浦村池濱(生浜)の変遷~

海上保安大学校の敷地は、明治中期以降太平洋戦争終了まで、海軍火薬庫、兵器工廠として使用され、海軍施設となる前は「吉浦村池濱」と呼ばれ、集落があった。
海上保安大学校創立70周年にあたり年表、資料などから、当地の海軍施設となる前から現在に至るまでの地誌と大学校70年の歩みを振り返る。

海上保安大学校に関する年表 平成~令和

平成3年 (1991年)

3月27日、麗女寮(女子寮)完成。昭和55年4月に初めて女子学生を迎えて以来、学生寮(三ツ石寮)において応急的な対策を講じて受け入れてきたが、将来的な女子学生の増加に対応するため、鉄筋2階建ての女子寮を建設。この完成を期に、これまであった学生寮を「三ツ石寮」、新たに完成した女子寮を「麗女寮」と呼称することとした。

 
11月7日、新図書館完成。旧来の図書館は昭和9年に三ツ石山頂に旧海軍工場として建設された建物を改修して使用していたが、山頂で不便な上、老朽化が著しかったことから、三ツ石山山頂にあった旧講堂兼図書館の建物を取り壊し、新たに鉄筋3階建て新図書館を建設。蔵書の中には昭和26年12月、日比谷図書館(現東京都立日比谷図書館)から譲り受けた旧海軍大学校が所有していた図書約8,000冊があり、中には東郷平八郎が英国留学中(明治4年〜11年)に使用したとされる「英大帝国史」など、同人が所有していたとされる図書(東郷文庫)や、旧海軍が写真を使用したため12冊しか作製しなかった「日本海大海戦写真帖」のうちの1冊など、大変貴重な図書が含まれている。令和3年現在の蔵書は約12万冊。

 

12月18日、本科の課程が各市の要件を満たす課程として認定され、本科第38期卒業生より学士(海上保安)の学位記が授与されることとなった。

現在の麗女寮
現在の図書館

平成5年 (1993年)

3月11日、三代目練習船「こじま」就役。同17日、こじま桟橋完成。同22日には、こじま桟橋に停泊中の新「こじま」訓練甲板において盛大な就役披露式が行われた。

練習船「こじま」(三代目)
就役披露式
平成5年頃の海上保安大学校

平成6年 (1994年)

5月18日、練習船「こじま」初の世界一周遠洋航海に出港。以後令和元年まで毎年世界一周の遠洋航海を実施。

平成7年 (1995年)

2月28日、海上保安研修センター竣工。㈶海上保安協会が㈶日本船舶振興会の補助を受けて建設。鉄筋工クリート2階建、宿泊定員は48名。(当時)

 

8月18日、三ツ石寮自習室を拡張し、寝室の定員を14人から12人に減員した。

現在の研修センター

平成13年 (2001年)

3月15日、創立50周年事業の一つとして、石製のモニュメントが本館前に制作された。中央の3本の石柱は大学校の教育方針を示し、周囲の石は本科学生・研修生が将来活躍する四方の海とともに海上保安庁の4つの使命を表している。

 

4月26日、初の外国人留学生5名の入学式を実施。これまで学生の外国海上保安機関への訪問、学生国際会議の実施、JICA研修生の受け入れ等の国際交流事業を行ってきており、業務のグローバリゼーション化を見据え、国際交流事業を推進する企画室を設置し、外国人留学生の受け入れを準備。東アジアやASEAN各国間との情報共有、協力関係を推進するべく、フィリピン、マレーシア、インドネシア、タイ、ベトナムからの留学生5名を受け入れた。

モニュメント

平成14年 (2002年)

5月30日、国際海洋政策研究センター発足。海上保安業務の国際化・多様化に戦略的に対応するため、海上保安業務のシンクタンクとして、大学校教官を活用した総合的な調査研究及び現場支援業務を行う組織として発足。

平成15年 (2003年)

7月12日、映画「海猿」クランクイン。海上保安大学校での撮影始まる。大学校での撮影はほとんどが屋外で、天候に左右され、多数のエキストラを必要とした。真夏に第一種制服を着用しての炎天下の撮影にはエキストラ共々苦労が絶えなかったと言う。

映画「海猿」で使用されたウエットスーツ

平成16年 (2004年)

5月26日、総合実習棟完成。一階に端艇やヨット、各種資機材を収容し、二階に海技実習室を備える鉄筋2階建となっており、東側に舟艇揚降装置を備える実習棟により、訓練等に使用する資機材・端艇等を適切に保管し、かつ効率的な実習を行うことができるようになった。併せて、これ迄倉庫として使用していた艇庫は、外壁を補修し屋根も桟瓦に戻すなど、大正3年(1914年)の建設当時の姿に復元され「煉瓦ホール」として生まれ変わった。

総合実習棟
昭和58年艇庫(現在の煉瓦ホール)
補修後の煉瓦ホール(平成16年)

平成22年 (2010年)

4月22日、訓練棟(射撃場)完成。旧来の射撃場は大学校敷地の東側にあったか、昭和41年に建設されたもので老朽化がひどく、騒音問題や鉛害対策を講じる必要があったことから、三ツ石山の西側に訓練棟として新たな射撃場が建設された。

 

6月30日、新潜水訓練用プール完成。昭和47年建設の旧プールの老朽化により、新たに訓練監視カメラや水深毎の監視窓を設けた新プールが建設された。

 

10月28日、海上保安シミュレーションセンターの竣工式が行われた。㈶海上保安協会が巡視船艇乗組員に対する総合的な操船訓練及び大学校における教育訓練の援助に資することを目的に日本財団の助成を受けて建設した。

新潜水訓練用プール
新潜水訓練用プール
海上保安シミュレーションセンター
訓練棟(射撃場)
旧寮のモニュメント
モニュメント説明文

平成24年 (2012年)

10月8日、海上保安大学校の呉移転60周年を記念して、練習船「こじま」による体験航海を実施。呉市関係者や一般市民等約700名が乗船して、2時間程の呉湾一周クルージングを楽しんだ。

クルージングの状況
クルージングの状況

平成27年 (2015年)

10月1日、海上保安政策課程始まる。同課程は法の支配に基づく海洋秩序の強化に向けた各国の連携協力、認識共有を醸成するとともに、人的ネットワークを構築するため、海上保安庁とアジア各国の海上保安機関の初級幹部職員に対し、海上保安政策に関する修士レベルの教育を行うもの。一期生はインドネシア、マレーシア、フィリピン、ベトナム及び日本から学生で、東京都の政策研究大学院大学において、開講式が行われた。

海上保安政策課程開講式

平成28年 (2016年)

12月20日、煉瓦ホール(旧呉海軍工廠砲熕部火工場機械室)が呉市重要文化財に指定された。更に旧軍港四都市(横須賀市、呉市、佐世保市、舞鶴市)の日本近代化の躍動を象徴する構成文化財として日本遺産に申請され、翌29年4月28日、日本遺産として認定された。

日本遺産標識
呉市指定文化財看板
日本遺産標識
日本遺産標識

平成30年 (2019年)

7月13日、平成30年7月豪雨により、呉市近隣地域は甚大な被害を被り、海上保安大学校でも断水が続くなどして適切な大学運営が継続できないことから、急遽、夏季特別日課を一週間前倒して全学生研修生を帰省させた。夏季特別日課中、吉浦地区の復旧を手助けするため学生12名が7月14日から16日までの3日間土砂や瓦礫の撤去などのボランティア活動に従事した。

ボランティア活動をする当校学生

令和2年 (2020年)

2月14日、国際交流センター竣工。日本遺産構成文化財に指定されている「煉瓦ホール」を玄関口として活用し、木材の温かみのある雰囲気と外観を有する「国際講義棟」と海外の研修生を受け入れる「宿泊研修棟」から構成される建築物として完成。

国際交流センター
現在の海上保安大学校

令和3年 (2021年)

4月10日、本科71期生、特修科67期生とともに、初めて四年制大学卒業者を新たに採用した初任科1期生の入学式を実施した。

令和3年度入学式

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