施設紹介

ここから本文

こじま

歴代「こじま」物語

海上保安大学校練習船の要目と略歴

3代目「こじま」  2代目「こじま」  初代「こじま」  初代練習船「栗橋」 

(写真はクリックすると拡大されます)  [English Version]

練習船「こじま」(3代目) PL21
3代目「こじま」拡大写真 3代目「こじま」船橋拡大写真
    
概要平成5年(1993年)に就役した世界的にもトップレベルの大型
練習船で,毎年世界一周の遠洋航海を行っている.
総トン数  2,950 t
全長115.0 m
14.0 m
深さ7.3 m
速力18.0 ノット
就役平成5年(1993年)3月11日
母港に係留中の3代目「こじま」
3代目「こじま」停泊時拡大写真
平成13年(2001年) 船体に Japan Coast Guard と標示
遠洋航海平成5年(1993年)
39期生,パナマ運河を通りアメリカ東海岸への往復航海
平成6年(1994年)−現在
40期生以降,約100日間のパナマ運河・スエズ運河を通る東回り世界一周航海
こじま拡大写真      
サンフランシスコ拡大写真 パナマ運河拡大写真      
USCGA拡大写真 ロンドン拡大写真      
救援活動平成7年(1995年)1月18日−23日
阪神淡路大震災救援のため乗船実習を中断して神戸港で救援物資の輸送支援等を行う
一般公開各地で見学会・体験航海を随時実施
こじま拡大写真 こじま拡大写真      
現況 船内の写真
  

練習船「こじま」(2代目) PL21
2代目「こじま」拡大写真 2代目「こじま」船首拡大写真
    
概要練習船として設計され練習船一筋に約30年間活動し,
平成5年(1993年)に3代目「こじま」に道を譲って引退した.
総トン数  1,018 t
全長69.6 m
最大幅10.3 m
深さ5.4 m
主機ディーゼル1基, 1軸
出力2,600 馬力
速力15.0 ノット
建造所呉造船所
建造中の2代目「こじま」
2代目「こじま」建造中拡大写真 2代目「こじま」建造中拡大写真      
2代目「こじま」建造中拡大写真 2代目「こじま」進水式拡大写真      
就役昭和39年(1964年)5月20日
新造時の2代目「こじま」
2代目「こじま」新造時拡大写真 2代目「こじま」新造時拡大写真
昭和55年(1980年)3月22日 改装
昭和59年度(1984年度) S字章標示
遠洋航海昭和39年(1964年)−昭和45年(1970年)
10期生−16期生,約70日間のハワイ・アメリカ西海岸往復航海
2代目「こじま」ハワイ拡大写真 サンフランシスコ灯台船拡大写真
昭和46年(1971年)−昭和47年(1972年)
17期生−18期生,64日間のニュージーランド・オーストラリア往復航海
昭和48年(1973年)−平成4年(1992年)
19期生−38期生,約70日間のハワイ・アメリカ西海岸往復航海
2代目「こじま」遠洋航海拡大写真 2代目「こじま」遠洋航海拡大写真
救難活動昭和41年(1966年)11月13日
乗船実習を中止して松山空港沖で全日空機墜落事故による遭難者救助に指揮船として当たる
解役平成5年(1993年)2月1日
平成5年(1993年)11月30日 タグボート2隻に曳航されて向島に回航
平成6年(1994年)7月22日
広島県御調郡 向島町マリン・ユース・センター に資料館として係留
2代目「こじま」向島での拡大写真
平成15年(2003年)3月27日 おわかれ式を行い閉鎖, その後撤去
現役時代の推進器を海上保安大学校本館前に展示
2代目「こじま」推進器拡大写真
  

練習船「こじま」(初代) PL106
初代「こじま」拡大写真 初代「こじま」クルー拡大写真
    
概要大戦末期に建造され戦中・戦後の激動期をくぐりぬけ,
その後練習船として約10年間で学生実習の基礎を築く.
総トン数  852 t
全長72.50 m
最大幅9.10 m
深さ5.34 m
主機ディーゼル2基, 2軸
出力2,100 馬力 x 2
速力17.0 ノット
建造所佐世保工廠
竣工昭和20年(1945年)3月20日 鵜来(うくる)型海防艦「志賀」として
第2次大戦中は対馬海峡で海上護衛に従事
第2次大戦終結時には対馬浅海(あそう)湾に所在
昭和20年(1945年)11月30日 除籍
昭和20年(1945年)12月1日 第二復員省掃海艦
移管昭和21年(1946年)12月31日 運輸省所属
昭和22年(1947年)4月8日 米軍連絡船(博多 - 釜山)として国鉄が運航
昭和24年(1949年)1月15日 横須賀管船部保管船
昭和25年(1950年)11月1日 中央気象台定点観測船「志賀丸」と改名
移管昭和29年(1954年)1月1日 海上保安庁巡視船「こじま」PL106と改名
昭和29年(1954年)3月3日 呉に回航
1代目「こじま」と「栗橋」拡大写真
昭和29年(1954年)6月23日 練習船への改装
昭和30年(1955年)9月21日 補強工事
1代目「こじま」拡大写真 1代目「こじま」拡大写真
昭和33年(1958年)7月−9月 改造工事
遠洋航海昭和29年(1954年)
1期生,ミッドウェー海域往復航海 (最初の遠洋航海)
昭和30年(1955年)−昭和34年(1959年)
2期生−6期生,ハワイ往復航海
1代目「こじま」出港拡大写真 1代目「こじま」ハワイ拡大写真
昭和35年(1960年)−昭和37年(1962年)
7期生−9期生,ハワイ・アメリカ西海岸往復航海
1代目「こじま」船橋拡大写真 1代目「こじま」船首拡大写真
引揚輸送昭和31年(1956年)4月17日−22日
在留邦人36名を北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)遮湖(チャホ)港から舞鶴港へ移送
昭和31年(1956年)11月30日−12月4日
在留邦人23名をソ連ナホトカ港から舞鶴港へ移送
救難活動昭和32年(1957年)4月12日−15日
乗船実習中に緊急出港して三原市沖で座礁沈没した第5北川丸の遭難者救助に当たる
解役昭和39年(1964年)5月6日
昭和40年(1965年)8月 千葉市に払い下げ
昭和40年(1965年)8月27日 巡視船「むろと」に曳航されて千葉市稲毛海岸へ回航
昭和41年(1966年)5月−平成5年(1993年) 海洋公民館
1代目「こじま」拡大写真
(岡本尚志氏所蔵)
解体平成10年(1998年)1月 現地にて
装備品の一部 は千葉市美浜区の 稲毛記念館 に保管
備考1「写真日本海軍全艦艇史」(福井静夫著)(1994)による竣工時の要目
1020 t,72.50 x 9.10 x 3.05 m,4200 馬力,19.5 ノット
備考2「海上保安庁三十年史」(1979)による要目
852 t,2300 馬力 x 2,19.0 ノット
  

初代練習船「栗橋」 PL100 (PL04)
「栗橋」拡大写真 「栗橋」拡大写真
    
概要19世紀末に建造されさまざまな活躍をしたベテランが
戦後の再建のために練習船として最後の働きをする.
排水トン数  1,060 t
全長58 m
最大幅9 m
主機レシプロ1基, 1軸
速力10 ノット
建造所ヘルシンゴー(Helsingør)造船所(デンマーク,ヘルシンゴー)
竣工明治30年(1897年)12月24日
スエーデンのネプトウーン(Neptun)社のサルベージ船「ヘラークレス(Herakles)」として
「ヘラークレス」拡大写真 「ヘラークレス」拡大写真
(ストックホルム産業史センター所蔵Neptun Archivesより)
明治31年(1898年)4月−9月
紅海においてイギリスP&O社の大型客船「チャイナ(China)」の離礁作業を行う
明治38年(1905年)5月
日露戦争に際し旧海軍が三井物産を通して購入して救難曳船「栗橋丸」と改名
旅順港においてロシアの軍艦レトウィザン,ポルタワ,ペレスウェート,ポビエダ,
バーヤン,パルラダ等の引揚げ作業を行う
大正9年(1920年)7月1日 「栗橋」と改名
昭和14年(1939年) 船橋の増設等の大改装を実施
第2次大戦終結時には横須賀港務部所属,救難船,交通船として使用
昭和22年(1947年) 復員輸送船として釜山に派遣
移管昭和23年(1948年)1月1日 運輸省臨時掃海管船部
「栗橋」拡大写真
(植田一雄氏所蔵)
移管昭和23年(1948年)5月1日 海上保安庁
昭和23年(1948年)7月8日−7月13日
八丈島神湊港へ防波堤とするため旧駆逐艦「矢竹」を曳航
昭和23年(1948年)7月28日−8月5日
福島県小名浜港へ防波堤とするため旧駆逐艦「澤風」を曳航
昭和25年(1950年)8月16日−昭和26年(1951年)7月21日 函館に派遣
「栗橋」拡大写真
(植田一雄氏所蔵)
昭和26年(1951年)7月30日 東京に回航
昭和26年(1951年)8月1日 海上保安大学校練習船
昭和26年(1951年)10月16日 東京にて実習開始
昭和27年(1952年)4月1日 巡視船籍に編入 PL04
昭和27年(1952年)4月16日 大学校移転に伴い呉に回航
昭和27年(1952年)5月1日 海上保安大学校練習船兼海上保安訓練所練習船
「栗橋」拡大写真 「栗橋」拡大写真
昭和29年(1954年)5月1日 PL04からPL100に変更
実習航海昭和26年(1951年)−昭和29年(1954年)
1期生−4期生に対する日本沿岸での実習航海
「栗橋」船首拡大写真 「栗橋」船橋拡大写真
「栗橋」ボート拡大写真 「栗橋」拡大写真
昭和29年(1954年)6月15日 練習船の指定解除
解役昭和29年(1954年)12月17日
解体昭和30年(1955年)3月 北星船舶による
「栗橋」解体拡大写真 「栗橋」解体拡大写真
備考1「写真日本海軍全艦艇史」(福井静夫著)(1994)によると旧海軍による購入は明治38年2月
備考2旅順港における引揚作業は「終戦と帝国艦艇」(福井静夫著)(1961)による
備考3「Loggbok från Neptun」(A. Mattsson著)(1970)による要目
592 t,56.78 x 8.95 x 4.87 m
備考4「ジェーン年鑑」(1931年版)による要目
1040 t,182 x 30.25 x 11.75 ft (55.5 x 9.2 x 3.6 m),1200 馬力,12.5 ノット
備考5「海上保安庁三十年史」(1979)による要目
1040 t,58.00 x 9.15 x 5.10 m,1600 馬力 x 1
  

  資料提供
スエーデン国立海事博物館
スエーデン大使館広報部
ストックホルム産業史センター
植田一雄氏
岡本尚士氏
宮内與四郎氏
    
要目等は主として「海上保安大学校三十年史」(1983)による